ワイマール共和国

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歴史と現代 1919年−1933年:ワイマール共和国。

1918年11月に君主制が崩壊し、1919年に行われた憲法制定のための国民議会の選挙で誕生したワイマール共和国と旧帝国との間には、実際、強い連続性があった。ある意味で、君主制の制度が形を変えて存続しさえしたのである。国民により選ばれる帝国大統領は、当時の人々が「皇帝の代替物」あるいは「代替皇帝」と呼ぶほど、強大な権限を有していた。

精神的にも帝国時代からの断絶はなかった。戦争責任についてまともな議論はなかった。ドイツ文書に、オーストリア=ハンガリー帝国皇太子が1914年6月28日サラエボで殺害された後、帝国指導部が国際緊張を意図的に高め、そのことによって第一次世界大戦勃発に主たる責任を有することが明らかにされていたにもかかわらずであるが、あるいは逆にそれだからとも言える。戦争責任に関する議論がなかったことが、ドイツは戦争に責任がないとする伝説へとつながった。これが匕首伝説(国内の裏切りがドイツの敗北につながった)と相俟って、ドイツ初の民主主義の正当性をなし崩しに薄れさせた。

ドイツが1919年6月28日調印を余儀なくされたベルサイユ講和条約は、ほとんど全てのドイツ人が甚だしく不当であると感じていた。それは領土の割譲、とりわけ新しく誕生したポーランドへの領土割譲や、戦時賠償による物質的負担、植民地を失ったこと、軍事における制限など、全てドイツ帝国とその同盟国の戦争責任を理由としたものであった。オーストリアがドイツと統一することを認められなかった点も、不当であると受け止められた。ハプスブルク家の没落により大ドイツ主義の実現を阻む最大の障害が消え去った後、ウィーンとベルリンの革命政権は、ドイツ語圏の二つの共和国を直ちに合併すると表明していたのであった。両政府は国民の支持を得られると確信していた。

ベルサイユとサンジェルマンの両講和条約で合併を禁じても、大ドイツ主義の考えが再び強まることは阻止できなかった。その考えは、昔の帝国思想の復興と結びついた。それは何よりも、ドイツが軍事的に敗北し、敗戦がもたらしたものに苦しんでいたからこそ、美化された過去からの誘惑に取り込まれやすかったからであった。中世の神聖ローマ帝国は国民国家ではなく、普遍的な要求を掲げた国家を超えた存在であった。とりわけ、ドイツがヨーロッパの秩序を守る勢力として西側の民主主義と東方のボルシェビズムに立ち向かうのだとする、新たな使命を見いだした政治的右派は、1918年以降、この遺産をよりどころとした。

ワイマール共和国が議会制民主主義の国として存在したのは11年間に過ぎなかった。1930年末、社会民主党のヘルマン・ミュラーに率いられた最後の多数派政権は、失業保険の再建を巡る対立が原因となって崩壊した。それまでの大連立政権に代わって登場したのは、カトリックの中央党政治家ハインリヒ・ブリュニング率いるブルジョア中道少数派政権で、老元帥パウル・フォン・ヒンデンブルク帝国大統領の非常大権に支えられて政権を維持した。1930年9月14日、帝国議会選挙でアドルフ・ヒトラーのナチス党(NSDAP)が第二党に躍進した後、まだ第一党であった社会民主党(SPD)は、ブリュニング内閣を容認する方向へ動いた。そうすることで、帝国が一層右傾化することを防ぎ、SPDがブリュニングのカトリック中央党とブルジョア民主主義政党との連立で政権の座にあった帝国内最大の国、プロイセンの民主主義を守ろうとしたのであった。

帝国議会の立法機関としての権限は、大統領が非常大権を持つようになって以後、帝国時代の立憲君主制より小さくなっていた。議会が弱体化したことは、選挙民の声がほとんど反映されなくなったことを意味した。そして、まさにそのことが、左右から議会に反対する勢力を活気づけた。中でもナチス党が強い追い風を得ることとなった。社会民主党がブリュニング内閣を支持して以来、ヒトラーは自らの運動を、ボルシェヴィキや修正主義など「マルクス主義」の全ての形態に対抗する、唯一の民族的運動であると主張することができた。ここに至ってヒトラーは、二つのことを訴えることができた。一つには、事実既に挫折していた議会制民主主義に対する恨み、そしてもう一つは、ビスマルク時代から約束されていた、普通平等選挙という形での国民参政権を実現することで、後者については30年代始めに大統領の非常大権によるブリュニング、パーペン、シュライヒャーの3内閣が続き、国民の参政権は奪われていた。ヒトラーはドイツの民主化が不均等に進行したことから、漁夫の利を得ることとなった。つまり民主的な選挙権は早い段階で導入されたが、議会が統治制度に定着したのは遅かったのである。

ハインリヒ=アウグスト・ヴィンクラー

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